ことろぐ。

渇いた日々の生活に一滴の潤いを。趣味に生きたい理系人間の気ままな記録…になる予定。

趣味:京都。

前回の記事で趣味の話をしようと言ったものの、すっかり筆が止まってしまっていた。

GWや休日出勤で1人の時間がなかなか取れなかったというのが理由だが、時間は作るものなので、時間が無いというのは言い訳でしかない。
それはさておき、私は只今京都へ向かう車中にいる。今年4度目の京都だ。定期的に京都の空気を吸わないと禁断症状が出る病気に罹っているので仕方ない。
なお、ブログというものは有益な情報を教えてくれるブロガーさんがいる一方で、私のように「趣味の話します!」と初めから自分語りを宣言している自己顕示欲の強いだけのブロガーもいる。以下の内容は長い長い自分語りである。

 京都が好きだ。

諸君、私は京都が好きだ。いやいや私のほうが、という人は世間に五万と居るだろうし、京都検定も持っていない身で言うのも烏滸がましいが、京都が好きだ。
漠然とした括りではあるが、趣味と言っても良いと思う。
私の本棚は、40㎝×40㎝のスペース2つ分が京都関連の本や雑誌で埋まっている。決して無差別というわけでは無いのだが、気づくと京都寺社巡りや京都オシャレカフェ巡りや京都アート巡りといった見出しに惹かれてしまう。どうせ中身が半分以上同じなのは百も承知だ。

京都好きは如何にして京都好きになったのか。

京都関連の本の収集癖は中学生の頃から始まった。所謂中二病である。
中学二年生の夏、東京・上野で宇治平等院展が開かれていた。
平等院は10円玉の裏に描かれていることでも有名な寺院である。建物の方が有名だが、平等院の本堂には、大きな阿弥陀如来像を囲むようにして壁一面に52体の雲中供養菩薩という菩薩像が安置されている。これが東京で公開されていたのだ。
興味のある方は是非ググってみて頂きたいが、この菩薩像、普通じゃない。それぞれに楽器を持ち、1000年以上前とは思えないほど生き生きとした表情で描かれているのだ。
中二病真っ只中の私は、これにすっかり感銘を受けてしまった。
平安時代SUGEEEE! 平安京SUGEEEE!! 京都SUGEEEE!!! (((o(*゚▽゚*)o)))
…そして、少ないお小遣いで神社仏閣(主に平等院関連)の本を喜んで買うイタい中学生になった。

初めての京都。

その後、陰陽師ブームや呪術ブームや暦ブームや襲色目ブームや寝殿造ブームや源氏物語ブームといった数々の黒歴史を経て、実際に京都へ行ったのは高校の修学旅行が初めてだった。
新幹線で京都駅に着いた時の感動は未だに覚えている。
「すっげー碁盤の目!!!!!」
………馬鹿じゃなかろうか。いやしかし、未だに京都の街並みの整然とした碁盤の目を見ると嬉しくなる。京都に来た!という気がして。
京都では色々巡ったが、当時の私には烏丸御池あたりの現代的な感じや四条河原町の喧騒は興醒めだった。京都はもっと昔の都の面影を残していると思ったのに!…当時の私は青かった。今となっては、あれも京都、これも京都だ。
修学旅行最終日、京都という地が私の中で特別な存在に昇華したきっかけである平等院にも行った。雲中供養菩薩がステキな仏像なのは勿論だが、平等院鳳凰堂は教科書の写真で見るよりも荘厳だった。烏丸御池四条河原町もどうでも良くなった。やっぱり、京都が好きだ。

そうだ 京都、住もう。

中二病を引きずったまま大学生になった。京都には時々旅行で行った。仏像大好き〜♡ヾ(*´▽`*)ノと言っていた高校生は、祇園辻利の抹茶パフェ大好き〜♡ヾ(*´▽`*)ノとか言うクソ大学生になっていた。
そんな折、本屋で偶然出会ったのが森見登美彦氏の「四畳半神話大系」という分厚いのに同じような話が延々と続く小説だった。※褒めてます
登場人物であるクサレ大学生たちの生活は本当に不毛で仕様もなかった。※褒めてます
彼らは京都という街での学生生活を満喫しているように見えた。
クサレ大学生にはなれず、クソ大学生である私は研究室で呟いた。
「京都、住んでみたかったなぁ…」
再現VTRなら棒読みで予定調和な展開が見える台詞だ。残念ながらこれもその類だ。研究室の教授は応えて言った。
「いつ住むの!?今でしょ!」
(勿論、こんなことは言っていない)
(しかしニュアンスは大体こんな感じだ)
そんなこんなで、モラトリアムの延長で大学院に進学するついでにやりたいことやっちゃおうかな〜くらいの軽いノリで京都に住むことにした。
なお、進学先となった研究室を訪問した際に「一度京都に住んでみたくて!(っ'ヮ'c)」と平気な顔で言い放った馬鹿なクソ大学生が居たらしい。…誰だろう?

そして、京都再び。

京都(の郊外)に住んだ話は、記憶がまだ新しいせいか、辛い研究室生活や初めての一人暮らしやドロドロの人間関係などの思い出が錯綜するばかりで、文章に起こしても事故しか起こらない気がするので割愛する。
結局、私の京都生活は2年間で終わりを迎えた。
しかし「京都に住む前」と「京都に住んだ後」は「京都に住んだ」という事実に分断され、確実に違うものになっている。先に述べた「あれも京都、これも京都」というのが「京都に住んだ後」を端的に表すフレーズかも知れない。
四条河原町の喧騒は、平日の深夜に研究室を抜け出してオールでカラオケした思い出に重なる。世間で言う「京都らしさ」みたいなものは一切ない京都の居酒屋の女将さんに「おかえり」と言ってもらえる。
「京都にしかないもの」が殖えていく。
それは京都だからではなくて住んだことのある場所だからかもしれない。だが、それでもやっぱり京都へ向かう時の高揚感は「京都だからこそ」なんじゃないかと思ってしまう。
 
そんなわけで、趣味:京都、を喧伝していこうかと思う。

折角写真も始めたことだし、京都さんぽレポくらい書けたら良いなと思いながら、京都駅に着く明朝を楽しみに待つ。